ファイアボール ゲボイデ=ボイデ 6~10 あるいはファイアボール・シリーズの感想

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 ※激しくネタバレあり 

 

 

 

 

 

 

 

 完結。

 物語はドラマCD「オモシロニクス」に繋がるのでそちらを聴いておいたほうがいい。

 

 どうしてタイトルに機械執事の名を関していたのか、アリアドネのデザイン、その他疑問はすべて最終話で回収される。ゲボイデ=ボイデは真相を知ってからの2週目の味わいが大きく異る。

 

 それはそうとして、これでファイアボール・シリーズは幕を閉じるらしい。

 ファイアボールとは何だったのだろうか。

 シリーズの始まりとなる初代ファイアボールは、お屋敷の外への興味が尽きない機械貴族ハイペリオンの少女ドロッセルと、それを諌める執事ゲデヒトニスの物語だった。外の世界を想像すること、夢見ること。

 第二作、ファイアボールチャーミングは対話がテーマとなっている。作中ではシリーズを通して世界を支配するハイペリオンと抵抗する人類の侵攻が描かれており、愛嬌たっぷりの「チャーミング人類」が現れることを待ちわび、そして現れなかった。むしろ全体を通してコミュニケーションとは困難であることを面白おかしく描いている。

 ファイアボールユーモラスはまだ幼いドロッセルが暮らし、世界に対して思索する姿が描かれている。ファイアボール・シリーズでは度々「遊び」が登場する。遊びとはルールだ。制約の中で思索すること、韻を踏み、駒を動かすこと、その繰り返し。シリーズを通じての「ナンセンスを描く」という確固たる意志の結実。

 ドラマCDのオーディオ・オモシロニクスに収録されている「ファイアボール外伝 ワンダーの方へ」は相変わらずひどくナンセンスながら、ゲボイデ=ボイデについて、そしてファイアボールの世界について重要な開示が行われていいる。細かな世界設定の横軸と、ファイアボール作戦のその先にも触れ、縦横に走り回りながら全体を表現したりはしない舞台裏的作品。

 そしてゲボイデ=ボイデは驚くことに夢オチである。それも完全なまでの。

 すべては彼の想像であり、アリアドネとは未来へと進む勇気を欲する彼の願望の投影だ。空想すること、夢見ること、意味のない遊びに時間を費やすこと。

 ファイアボール・シリーズのストーリーを追っていると、その根底に流れる切なさに気づく。SF的な、未来は必ずしもバラ色ではない世界観だ。

 彼らは夢と同じ成分で作られていた。シェイクスピアの「ザ・テンペスト」を想起させるセリフはドロッセルとゲデヒトニス、あるいはウラノス全体を指す言葉で、テーマ面での彼らの存在を表している。

 未来は素晴らしくないかもしれない。己の存在は夢のようなものかも知れない。それでも空想し、夢を見て、ナンセンスに遊ぶ。そこに意味はあるだろうか。

 けれどその果に、彼らは未来を選択した。それがたとえ悲しいものであったとしても。